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筑摩を遠く離れて(初出:定有堂ジャーナル) |
(筑摩プリマーブックス96)網野善彦・著/筑摩書房 ★大学生の頃、女ともだちが自動二輪の免許を取ったので、負けじと自分も免許を取りライダーになった。彼女がGPZ250 なら私はCBX400、と張り合ってガンガンツーリングに出かけた。当時住んでいた広島から、日帰りで出雲大社を目指したり寝袋を積んで九州四国を駈けめぐった。目的はたいてい半島と灯台だった。今の夫との結婚に踏み切ったのは、彼がバイク乗りで奥能登出身の書店員だったからかもしれない。学生時代には行けなかった憧れの能登半島へ今では毎月のように家族で出かけている。 ( 初出*Vol.2=「定有堂ジャーナルNo.95」1997年9月10日発行 |
★私の宮澤賢治体験は、あまり豊かなものではない。最初に賢治の名前を知ったのは、おおかたの人がそうであるように小学校の教科書だ。「雨ニモ負ケズ・・」の文章を、修身や道徳の教科書のご神託のように、ありがたい言葉として刷り込まれた。クラス一優等生のKちゃんが、この詩が大好き、などと言ったので、なんだか私は好きになれなかった。 |
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