筑摩を遠く離れて(初出:定有堂ジャーナル)

 


Vol.2『続・日本の歴史をよみなおす』

(筑摩プリマーブックス96)網野善彦・著/筑摩書房 
 

★大学生の頃、女ともだちが自動二輪の免許を取ったので、負けじと自分も免許を取りライダーになった。彼女がGPZ250 なら私はCBX400、と張り合ってガンガンツーリングに出かけた。当時住んでいた広島から、日帰りで出雲大社を目指したり寝袋を積んで九州四国を駈けめぐった。目的はたいてい半島と灯台だった。今の夫との結婚に踏み切ったのは、彼がバイク乗りで奥能登出身の書店員だったからかもしれない。学生時代には行けなかった憧れの能登半島へ今では毎月のように家族で出かけている。
 『日本の歴史をよみなおす』が出版されたとき、私は出版社でこの本を売る立場だった。『続・日本の歴史をよみなおす』が出たときは本屋でこれを売る側になっていた。そして今、純粋に読者の立場で改めてこの本を読みなおしている。
 網野善彦の描く能登半島には原発も過疎の話も出てこない。時国家、という地元の人にとっては観光スポットにすぎない所から、三十年以上借用したままになっていた古文書がきっかけで、話が進んでいく。「百姓は農民であるのか?」という素朴な疑問から、能登の豊穣な歴史を紡ぎだす。
 大工と桶屋の血を受け継ぐ私の夫が、いつか「能登に帰る」と言い出したとき、『続・日本の歴史をよみなおす』とMacと「定有堂ジャーナル」があれば、私もそこで暮らしていけるだろうか。『大菩薩峠』と『ペスト』が好きなお義母さんとうまくやっていけるだろうか。そんなことを考えながら、せっせとネットワークの網を紡いでいる。

金沢市在住/「新月いわし洞通信」発行人)

 初出*Vol.2=「定有堂ジャーナルNo.951997910日発行

 

Vol.6 『文庫版 宮沢賢治全集・全10巻』 
 ちくま文庫  
 

★私の宮澤賢治体験は、あまり豊かなものではない。最初に賢治の名前を知ったのは、おおかたの人がそうであるように小学校の教科書だ。「雨ニモ負ケズ・・」の文章を、修身や道徳の教科書のご神託のように、ありがたい言葉として刷り込まれた。クラス一優等生のKちゃんが、この詩が大好き、などと言ったので、なんだか私は好きになれなかった。
 中学の教科書で読んだのは「オッペルと象」。「よたかの星」を読んだのも教科書だったか。「銀河鉄道の夜」「どんぐりと山猫」など、きちんと読んでいないのに題名だけを覚えた話が増えていった。その清貧といえなくもない暮らしざまから、聖人のように崇められる賢治の名を聞くと、わかった気になってしまい、物語を読み進んでいく気持ちがなぜか萎えるのだった。
 私が筑摩書房に入社した頃は、ちくま文庫が創刊されて5年目の頃で、文庫の一覧表の注文書はまだ4,5枚だった。文庫版で全集を出すという試みの最初の人が宮澤賢治だったのだろうか。校本と定本の全集があるというのに、どうしてこの上に文庫版まで出す必然性があるのか、まったく理解できないまま営業に行った書店に、補充用の文庫の注文書を渡したりしていた。
 そんな私が、再び賢治を曇りのない目で見ることができるようになったきっかけは、金沢に転居しF書店でアルバイトをしていたときに出版された『賢治の学校』という雑誌だ。鳥山敏子さんというカリスマ教師が全財産なげうって(かどうかはわからないけど)、全力投球でたちあげた雑誌と運動の理念には、少し心動かされた。ちょうどその頃、第10巻に「農民芸術概論」も文庫化されて、理念の方からなら賢治にアプローチできるかも、と思った。
 結局のところ、人によって傷つけられた心を癒すのはやはり人で、そういう意味では私はある一人の宮澤賢治を朗読する女性に「救われた」。何故だろう、賢治と同じ岩手県で生まれたというHさんと読むなら賢治に近づけるかも、という気持ちになり、Hさんの始めた「勝手に宮澤賢治を読む会」という読書会に、1歳になったばかりの娘を背負って参加した。テキストは「ちくま文庫版・宮沢賢治全集」。第5巻の童話の最初から、参加者が声を出して読みあうというワークショップ形式の読書会は、専門家だけに閉ざされない開かれた試みであった、と思う。
 奥能登に転居してからは、その読書会にも参加できず、その後蔵書する全集の巻数も増えてはいないのだけれど、ある時ついに、Hさんを自宅にお招きして、囲炉裏端で彼女に賢治の詩を朗読していただく機会を設けることが出来た。人数も多くなく、くつろいだ気持ちで、Hさんの読む「告別」や「雨ニモ負ケズ」などに耳を傾けた。Hさんがおっしゃるには、「雨ニモ負ケズ・・・の言葉は、賢治がいつも持ち歩いていた手帳の10ページにわたって書きつづられていた言葉で、いわゆる「詩」と考えるよりは彼にとっての「お経」や「念仏」のようなものではなかったのかなあ、と思うのよ」。声高にではなく、つぶやきにも似た言葉は、賢治の思いを活字から解き放ち、思念そのものに近づく可能性を開いてくれた。
 これから何年かかるかわからないけれど、櫛の欠けた歯を補うように、「文庫版・宮沢賢治全集」を全巻揃えられたらいいなあ、と思う。今頃になって、文庫版全集のありがたみがわかるのであった。
 
(文章工房 新月いわし洞 店主) 

 

 

Vol.1 『神経衰弱ぎりぎりの妊婦たちへ』 
  生駒芳子・著/筑摩書房  

★PR誌「ちくま」でこの表題を目にしたときから、必ず読もう、と決めていた。第二子出産直前までパートで働いていた書店の、”私の棚”と勝手に命名した女性問題や不登校の本を並べている3段程のスペースに、ピンク色の背表紙にこのタイトルを発見したときは思わず「やっぱりここにあったか」と感動を覚えた。おそらくパターン配本された2冊がそのまま行儀よく並んでいた。
 きっと青山ブックセンターやリブロ系列の書店ではどーんと平積みにされているんだろう。なんたってタイトルは「神経衰弱ぎりぎりの女たち」という映画のパクリだ。筑摩の『笑う出産』を狙ったのかもしれないけれど、日本海沿岸の一地方都市でこれを読むとリアリティより懐かしさのほうが強い。朝の満員電車に乗りこまなければならない妊婦のストレスを考えただけで、頭がクラクラしてきた。
 ちょっとぐらい寒くたって、雪が降ったって、職場まで自転車でも通えて、助産院でツルンと産んだ自分の二度目の妊娠体験と重ねあわせながら読むもんだから、ますますリアリティは遠ざかる。うーん、でも読み進むうちにやっぱり初産の時は臆病だったことをすこしずつ思い出してきた。
 東京で子供を産まなくて良かった、というのが今の私の率直な感想だけれど、そこで生きていくことを決意している彼女たちにはこの本は一つの贈り物になるだろう。この本の編集者であるSさんとは、在社中にはあまり個人的な話をしたことがなかったが、今ならいろんなことを話せそうな気がした。

(初代どすこいねーちゃん/「新月いわし洞通信」発行人・金沢市在住* 注釈*筆者肩書き・居住地は初出時のままです。
 初出*Vol.1 =「定有堂ジャーナルNo.931997710日発行
 

 

  Vol.5 『私の居場所はどこにあるの?−少女マンガが映す心のかたち』 
                         藤本 由香里・著/学陽書房  
 
★五月の連休最後の週末に、数年ぶりに東京に行ってきた。用向きはダンナが学生時代の友人の結婚式に呼ばれたので、私プラス子ども二人がそれに便乗した。茅ケ崎に住む私の姉夫婦の所にいくというのが第一の目的で、ついでに昔の職場にも顔を出すのが第二の目的。次長になったT氏と、編集部にいったYさんと、管理部にいったNさんと一緒にいわし一家はお昼をおごってもらった。子どもがいるのでファミリーレストランがいいんじゃない、ということで四人席に七人(大人五人・子供二人)座ってあわただしくカレーをかっこんだ。営業部ではそれなりに人事異動があって、新入社員も入って、私の居場所はもうそこにはない。それでもこんなふうに訪ねていけば、昔とちっとも変わらない気安さで迎え入れてくれる筑摩書房が好きだ。

 ところで、今回紹介したい本は『私の居場所はどこにあるの?−少女マンガが映す心のかたち』である。著者の藤本さんは筑摩書房の編集者でコミック・女性・セクシュアリティなどに深い関心を持ち、個性的な仕事を積み上げてきた人だ。私が営業部員として働いていた頃、吉祥寺のK栄堂書店にいらしたSさんは、彼女が編集した本というだけでいつもより事前注文の数を上乗せしてくれた。そして「藤本さんが本を出したら教えて」とよく言っていた。
 その藤本さんがとうとう単著で本を出版した。『りぼん』の田淵由美子から『新世紀エヴァンゲリオン』に至るまでの少女マンガ論としても面白いし、読み方によっては(恋愛+仕事+家庭)÷セクシュアリティ=存在の変容・・・という、生きることの意味を解きほぐしてくれる方程式にだってなるかもしれない。
 私たちの居場所探しの旅は終わらない、と著者は書く。そのとおり、と私は思う。結婚したからって、母になったからって、それですべての質問が止んでしまうほど甘い時代ではない。私は私で、筑摩書房から遠く離れたこの金沢で、自分の居場所−夫にも子どもにも関係のない−を少しずつ掘り下げて行こうと思っている。

金沢市在住/文章工房 新月いわし洞主催人)

 初出*Vol.5=「定有堂ジャーナルNo.105

1998710日発行

 


 

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